2015.07.26 車山高原へ 82歳の現役サイクリスト(茅野市にお住まい)

道が逸れる角にコンビニを見つけ500ccボトルを求めた。 先日登坂途中で飲料水が切れた苦い経験から。 買い求めたボトルをサドルバッグに詰め込んでいると背後から 「これからどちらへ」と。 「白樺湖から車山高原まで」「どこかお泊まりで」「いいえ今日帰ります。ダウンしたら引き返します~」「気をつけて~」「はいありがとうございます」と交わし振り向いた。

そこには往年のクロモリと見える細った濃紺のフレーム、 斜めチューブにはベアワイヤーのダブル変速レバーが、そして白のバーテープを巻いたドロップハンドルが~。 兎に角自転車全体が懐かしく目を近づけ覗き込んでしまった。 82歳になる現役サイクリストでした。 これまでお会いした中の最高齢者であり、思い出話をたくさん聞かせて頂きました。退職を機に昔自転車でよく訪れたここ茅野の地に住まいを移されたとか、現在も4台の自転車を持ち等々、これぞ自転車を愛する方と思え、また自分の自転車人生も未だ続くことを悟った。

2014.06.27 雨山峠にて、「介護家族」のお話し(お住まい横浜市瀬谷)
愛犬を連れたご夫婦で、ご主人は同じS23年生まれで奥さまも近くにお見受けされた。 ご夫婦は車に
乗車したままで何十分お話しが続いただろう。 実に多くの会話をした。 私の姿を3度見たので・・・と。
私の姿(年齢)での自転車登坂に感銘を受けたご様子だった。 自転車の話し、退職後の楽しみ方の話
し、住居環境の話し、東北大震災の話し、そして愛犬を東北の海岸で救出してきたお話し等。
写真撮影の依頼に「いいですよ」と笑顔をいただいた。 とても仲のいいご夫婦でした。ご家族はご夫婦とほぼ13歳のわんちゃんそして留守の13歳の猫ちゃんで、家族皆高齢で、「介護家族なの」とのことでした。 いつまでもお元気で。 「またどこかでお会いしましょう」と別れた。
 
2014.05.31 仁科峠にて、天国で暮らす自転車大好き甥っ子さんのお話
あと数十メートルで到着・・・ 気付くと年配の男性が一人峠から西海岸を眺めている。もうすぐ到着する頃に振り返り、まるで私の到着を待っている様な雰囲気で「こんにちは」と互いに極自然に挨拶を交わした。 「すごいねえ~」「物好きなだけで~」。「どちらから?」ありきたりの会話をした後、ご主人は、私の"愛車"を舐め回す様にユックリユックリ見ていた。年の頃は80過ぎかな。「後ろ7枚と前3枚だから21段と言うことですね」。 一般の方が話される会話では無く、以前同じ様にされていたのかと思った。そうして「自転車好きの甥っ子がいてね」と。うなずける話を聞くことができた。
その甥っ子さんは、―『呆れるほど自転車が好きでね。 北海道から羽田まで飛行機で来て、地図を
片手に自転車で(ご主人の)家まで(伊豆の近傍か?)来たんだよ。 その甥っ子が自転車で箱根の峠
を走るのが夢だ。と その夢を実現させる為には、サイクリング部が有名な"早稲田"に入るんだと。 
卒業して同期の2名だけ経済新聞社に合格してね。 そして(確か)入社2年目に雲仙普賢岳の火砕流
でやられたんだよ。 『あの湾岸戦争の取材には何故行かないんだよ』と、友人には言われたそうだけ
ど、『経済新聞社だから戦争の取材は対象では無い』と言ってました・・・。 頭なんか良くない方がよかったんだ・・・・」―
「写真撮らせてもらったよ」とのこと。 甥っ子さんと重ねていたのかもしれません。 空が怪しく遠くで雷鳴も聞かれ、急いで峠を下ることにした。「いい出会いをありがとう御座います」。「お互いいい旅にしましょう では」 峠から直線で4、500メートルのダウンヒル右ターン直前にふと振り返ると、ご主人が大きく手を振っている姿を見ることができた。
帰宅早々に、『普賢岳火砕流』をネットで調べると。 以下はウィキペディアより抜粋
=1991年(平成3年)6月3日午後4時8分に発生した火砕流であり、取材に当たっていた報道関係者16名
(アルバイト学生含む)、火山学者ら4名、警戒に当たっていた消防団員12名、報道関係者に同行した
 タクシー運転手4名、警察官2名、選挙ポスター掲示板撤去作業中の職員2名、農作業中の住民4名の
 合わせて43名の死者・行方不明者と9名の負傷者を出す惨事となった。
 そして今日2014/6/3は、雲仙・普賢岳の大火砕流から23年なのです。 無くなられた甥っ子さんはじめ、多くの方々のご冥福をお祈り申し上げます。
2014.04.11   帰路の電車内でとても珍しい体験をすることになった。 
それは、山中湖南側に位置する3峠走破、60過ぎにはちょっと体力的に厳しい明神峠、三国峠そして
篭坂峠の峠越え輪行ツアーからの帰りのこと。 終着駅を出発駅と同じ足柄駅にして、荷物をロッカー
に預け軽量化して走行する計画としていたが、出発駅である足柄駅にはコインロッカーの設備が無く
荷物を携行しての走行が余儀なくされた一方、終着駅は自由に設定することが出来る様になった。
時間の余裕から山北駅を終着駅にすることにした。 山北駅発16:48の国府津行きに乗車した。
そして、帰路の電車内で、珍しい体験が。
突然「あのう 自転車の搬送のキャリアはどこで購入できるのでしょうか?  」30前後のお嬢さんに話し
かけられた。 60歳前後と思えるお母様と二人連れであった。 「作ったのです」との応答に。 「二人
顔を見合わせて、そうかなぁと話していたのですが。 実は、朝もご一緒の電車でした。 朝も気になったのですが~。帰りも一緒になったものですから、聞いてみようと娘が~。  山北駅から乗車されましたよね。 実は娘と折り畳み自転車を買ったのですが持ち運びが大変なので、この様な便利な物があったらいいな・・と・」。 お二人が下車される迄の15分程、輪行のお話に花が咲きました。 帰り際には、娘さんが「頑張って作ってみようか 」と。 下車される時にはお母様から「続きは又お会いしました時に」。
偶然過ぎる出会いでとても楽しい時間と会話が出来ましたことに感謝です。 ありがとう御座います。
2013.10.04  本栖みちのダウンヒルでみつけた『農作物直売所』。 『クリ』の看板を見つけて入ると、滅多に客の来る気配も無く、店主と色々立ち話し。 「定年後の人生を楽しんでいる」ことを悟られ、「俺さ、露天風呂作ったんだよ。 入って行きなよ!」と。突然のお誘いに驚き、二の足を踏んでいると、「すぐそこだから」と。 きれいに整備された庭の一角に垣根で覆われた2坪程のスペースに露天風呂があった。実に手の込んだユニットバス程の大きさで、丸い川石積みでセメントで固められたものだ。高台ゆえに、遮蔽する必要も無い様で、「星がきれいなんだ」。 庭石整地、植木等みな自分の手作りと。 私の上を行く人生謳歌者である。缶コーヒーを頂き貴重な30分程で実に有意義な親交ができた。お互いの氏名を確認し再訪を約束した。二つ先輩の極めて元気な方だった。
 
2013.07.26 峠越えに向かう途上の午前6;40頃です。 通勤途上でしょうか。 急ぎ足で追い越しながら、 「おっ チャリンコ?」  「はい」。 そして追い抜きつつ「 キャスター着くんだ?」 「作りました!」。 追い抜き振り返りながら輪行袋にまた視線を向けて、ちょっと大きな声で「 えらい!」 と。 40歳前後の男性でした。
きっと自転車をされる方で、輪行の『重さ』を感じたことがある方の様に思えました。
2013.07.21 スタート地の銚子駅着にて、愛車をコロコロ引きながら改札口を出、セットアップ場所を探すや、めぼしい場所には既に先客が。 ちょっと前に到着された様で、壁には袋詰めで2台が立て掛けられ、セットアップを開始せんとされる状況に察しました。 隣りが最適場所と考えご挨拶をしつつ場所を構えることにしました。 奥さまと拝見される方から「うわーいいなぁ」とお褒めの言葉を頂戴し、恥も知らずに「これ自分で作ったんですよ」誇らしく返事をしてしまいました。 30後半でしょうか素敵なご夫婦とお見受けしました。 我が輪行人生で、ご夫婦での行動に遭遇したのは初めてです。大変心が躍りました。
船橋からお見えとのことで、自分は藤沢からと申しますと大変驚かれていらっしゃいました。        いつまでもお幸せに、お二人で長い間自転車を楽しまれますことをお祈り致します。 貴重な出会いを
ありがとう御座いました。
2013.05.01 国士峠(*)にて 三十前後の方かな やはり峠の直前で追い越されました。 峠の"碑"の前で写真を撮らせて頂き、素晴らしい愛車のお話も伺いました。 流行りの自転車を代表する様なモデルでとても 軽そうに見えました。9.5kgとか。「いい自転車ですね」に、「妻にはいえませんが・・・ね」と。 行き先は左右に分れて。
        *)国士峠(こくしとうげ)旧中伊豆町から旧天城湯ヶ島町(国道136号線)へ向かう県道。 そこか
   ら更に松崎まで 続く。狭い道の連続である。以前の町の境が国士峠である。標高510mと白い
   杭に書いてある。 この道を利用すると万城の滝から浄蓮の滝まで20km(約30分)である。。;ネットより
                 標高は低くも、道は明るく、ルートから富士を眺めることができました。
2013.05.01 「あのぅ? わかんないから聞くんだけど そういう格好で電車に乗れんの?」 折畳み自転車を説明すると「いいねどこにでも行けて」「気をつけてバイバイ」孫の手を掴み手を振って見送って下さいました。
  :往路の修善寺駅前のベンチ輪行スタート準備中に ベンチ横隣の50歳過ぎの女性2才前後のお孫さ
   んを連れて
2013.04.13 和田峠(*)にて 二十歳ちょっと過ぎでしょうか 数人のグループでのツアーのリーダー格の方でした。
 坂の途中で追い抜かれ、峠の頂上で迎えて頂きました。 ちょっと会話を交わし元気を頂きました。
 ありがとう御座いました。
 *和田峠(わだとうげ):東京都八王子市から神奈川県相模原市緑区の間にある、山梨県道・神奈川
  県道・東京都道521号上野原八王子線(陣馬街道)の峠。標高690m。全面舗装である。
  元来「和田峠」は相模からの呼び名であり、八王子からの元々の呼び名は案下峠(あんげとうげ)
  であったという記述もあるが、現在では「和田峠」の呼称のみが残っている。::Wikipediaより
2012.08.03 『あのう一つ聞いていいですか 昔から、そういうことする人に聞きたかったんだけど、なんでやるの』『ただ好きなだけです』『だって大変でしょ』『そうですね しいて言えば、登った後の達成感かなぁ~』『あぁそうなんだ 一度聞いてみたかったので・・・どうも』
     :途上 大垂峠の茶屋にて 30歳前後の男性
2012.06.15 しばらく顔を見て「これなんですか」「折畳み自転車です」「あーそうですか さっきから何かなぁって気になってね・・・」「気をつけてね!」「どうもっ お元気で!」
       :往路 地下鉄東西線で斜め向かい席に数区間乗り合わせの終点間近にて 80前後の女性
2012.06.01 「自転車でしょ! いいね 私も若い時によくやりましたよ 主人と交代々で」交代しながらの意味を伺うと「主人と二人で車のトランクに自転車を入れて、この辺走りたいなと思ったら、車止めて、そから私が走り、主人は車で先に行って待ってるの そこで主人と交代して、今度は私が車でね 交代しながら~あちこち走りましたよ あそこは走った? 富士川 秋の富士川沿いはいいよ 」いろいろ楽しいお話しを聞かせ頂き、下車駅までの1時間があっと言う間に感じました。
       :帰路熱海からの車内にて 70過ぎの女性